ズィーガー・
カンプグルッペ
遂行者:平松拓重流
作戦名:AWW(SS)キャンペーン


さて、セカンドプレイですが、今回は「南方軍集団の戦い」経由で行こうと思います。
本当は青作戦、スターリングラード経由でソ連を屈服させたかったので、今回も最終的にアメリカを降伏させます。

俺はヴォルフガング・ズィーガー。
ドイツ第三帝国の将軍として、千年帝国の建国のために相棒のブリッツと共に、戦争に挑む事となった。
士官学校の成績は、91点のA評価。
勲章がもらえなかったのが心残りだが。

1939年9月1日。
それは突然やってきた。
我が総統閣下、アドルフ・ヒトラーの命令により我々はポーランドに侵攻する「白作戦」を発動させた。
ポーランド侵攻の理由は、東プロイセンの開放のためだ。
俺はポーランドには怨みはないが、総統の命令なら仕方が無い。
まずは相棒の戦闘機メッサーシュミットで索敵し、目の前のイギリス製の40mmボフォースを破壊して空港を占領。
俺は第一次大戦のとき、イギリス軍に右目をやられたため、イギリスが嫌いだった。
そのせいか、少しばかり派手にやってしまったようだ。
北側ではライヘナウが行動を起こし、カルパチア軍と衝突。
我々の部隊もクラカウ軍とプルシー軍の将軍を仕留め、孤立した部隊を次々と掃討した。
しかし、敵の戦車のタンケッテTKS、トラックの荷台にも楽に乗せられるほどに小さかった。
本当にこれで「戦車」と言えるのだろうか。
ま、我々も「農耕用トラクター」を使ってるから人の事は言えないが。
敵の防衛ラインが崩れ、我々は一気にクラカウ、キエルツェを制圧。
最後の拠点ブルゼミアルの野砲とボフォースを破壊、占領して任務完了。
期間は8ターン、戦略的勝利。
ドイツの勝利のためには、これくらいの戦果は挙げておきたい。

さて、いよいよ敵首都ワルシャワへの進撃である。
ちょうどこの頃、英・仏連合軍が我がドイツに宣戦布告。
俺のトミーとの戦いも、もうすぐ始まろうとしている。


「ワルシャワ攻略戦」

初陣を大勝で飾った我々は、敵首都ワルシャワへ肉薄した。
この時、自軍は戦力増強のためIII号戦車F型とスコダ35t戦車を導入。
もはやポーランドのタンケッテやルノーなど敵ではないだろう。

俺の部隊の目の前には、敵のプルシー軍の司令部がある。
相棒のスツーカで脅しながら、目の前の敵を一つ、また一つと撃破していく。
軍司令部は、あっという間に占領されてしまった。

ライヘナウは地上軍だけでウッジを目指す。
ポズナニ軍の激しい抵抗に遭うが、いかんせん旧式の兵器。
近代化を推し進めた我がドイツにかなうはずが無い。

ちょうど我々が橋を渡って敵将軍を二人仕留めた所で、ライヘナウがウッジを占領。
深夜には敵の増援としてポメラニア軍が来るが、歩兵ばかりで貧弱な部隊だった。
翌日の朝にはクルーゲ率いる北方軍集団が増援として駆けつけてきた。
クルーゲ軍はライヘナウ軍と共にポメラニア軍を駆逐し、クトノを占領。
空戦は、ブリッツ率いるBf109の圧倒的な強さとポーランド機の貧弱さが相対してまさに無敵だった。
二日目の夕方には我々はワルシャワを総攻撃。
必死の防戦に努めるワルシャワ守備隊に対し果敢にも突撃、夜にはこれを制圧した。

首都ワルシャワが陥落し、ポーランドは我がドイツに敗れた。
10ターン、戦略的勝利である。
この戦いで、俺とブリッツは二級鉄十字勲章を授与。
ブリッツには、さらに戦闘機のAvia534も授与された。

ちょうどその頃、総統閣下と密約していたソ連書記長・スターリン率いる赤軍がポーランド東に侵攻。
ポーランドは我がドイツとソ連により分割併合され、世界地図から消滅してしまった。
しかし、ソ連がカティンの森で残虐行為を行ったのは、今の俺達は知る由も無かった。
その後、ソ連はフィンランドにも侵攻。
これがもとで国際連盟から除名された。
我がドイツが国際連盟を脱退してから7年後の事であった。

ポーランド陥落後、総統閣下はデンマーク、ノルウェーにも侵攻。
その頃、イギリスではチェンバレンに代わってウィンストン・チャーチルが首相となった。
我がドイツに徹底抗戦すると宣言。
俺はこのトミーの挑戦を受けてたつ覚悟は出来ている。


さて、私はこの次は「マンシュタイン計画」で行きます。後の「パリ電撃戦」は、「パリ攻防戦」とは敵と自軍の初期配置が違って、イギリス軍の戦力が分散されている事を考えると、こっちの方が進みやすいと判断したからデス。


「マンシュタイン計画」

ポーランド制圧から半年が過ぎ、総統閣下は宿敵フランスへの進攻を命じた。
俺は二つの仏侵攻作戦のうち、アルデンヌの森を突破する「マンシュタイン計画」にのっとって作戦を遂行する事にした。
この方が敵の防衛網が薄く、侵攻がたやすいと判断したからだ。

さて、まずはベルギー領内への侵攻である。
俺とライヘナウ、空軍でベルギー自慢のエバンエマールを破壊。
速やかに対岸に橋頭堡を確保する。
ベルギー国境軍団、快速軍団と遭遇したが、所詮は歩兵と第一次大戦の「動く化石」ことルノーFT。
軽くあしらってやった。

アルデンヌの森の方は、グデーリアン、ラインハルトが仏軍と交戦中。
仏軍の戦車(ソミュアS35、ルノーR35、ホチキスH35、シャールB1bis)は異様に硬くて撃破に手間取ったそうだ。
しかし、砲塔に一人しか入れないらしく、戦車長は戦闘に専念できなかったようで、3号、4号でも何とか撃破できた。
バストーニュ、ディナン、ブリュッセルと次々と拠点を押さえて行く。
ライヘナウはブリュッセルに守備隊として残しておいた。
読みが当たったらしく、ディナンの北側に仏軍、ブリュッセルのすぐ近くにイギリス遠征軍が出現。
ライヘナウの部隊が迎撃するが、マチルダ戦車はことごとくこちらの戦車の砲弾を撥ね返してしまったという。
セダンを目前としたグデーリアンだが、マジノ要塞に邪魔されて進撃がままならない。
そこで俺とラインハルトがディナンから裏側に回り込む作戦を取った。
俺は仏軍の増援部隊を掃討し、その隙にラインハルトがセダンに突撃。
前後から挟み撃ちに遭った仏軍は潰され、セダンは占領され、任務は完了した。
10ターン、戦略的勝利。
こうしてセダンとブリュッセルは、我がドイツのフランス侵攻の橋頭堡と化したのである。

ちょうどその頃、オランダは我がドイツに降伏。
蘭軍の武器は我が軍に引き渡され、蘭政府とウィルヘミナ女王はロンドンに亡命した。
オランダには、まだ東インドが残っているが、あそこが同盟国である大日本帝国に占領されるのは時間の問題だろう。


「パリ電撃戦」

1940年の春の終わり。
それは、フランスにとっても「終わり」の時であった。
俺達はセダン、ブリュッセルから一気にパリを目指して進撃をする事になった。
  • 陸軍将軍:PSW232(将)、PzkwIVD、PzkwIVD、PzkwIVD、sIG33/1、sIG33/1、105mm野砲
  • 空軍将軍:Bf109E(将)、Bf109E、Bf109E、Me110C、Ju87B、He111
まず目の前には仏・英・ベルギー軍が防衛線を形成している。
これをどう突き崩すかが課題だ。
幸いにも我がドイツ軍にはブリッツの他に、ケッセルリンク空軍が参加している。
これら航空戦力を利用すれば、防衛線の壊滅などたやすいだろう。
グデーリアン、ブッシュの目の前にあるマジノ要塞線及びパリより南の都市については、この際無視してかまわないという作戦を取る事にした。
まずは目の前の仏軍を蹴散らし、進撃を開始する。
さすがに仏軍の戦車は装甲が厚くて撃破しにくいが、所詮飛行機の敵ではなかった。
クルーゲは北海岸線沿いに進撃させカレー、ダンケルクの制圧を担当する。
空軍が暴れまわってると、仏軍の航空機部隊が飛んできた。
しかし、その内容は時代遅れのモランソルニエMS406や、カーチス・ホークH75、ブロッシュMB152、ポテ630などの、いずれもBf109には及ばない、いや、Me110にすら勝てない機体であった。
情報では最新型のデヴォアティーヌD.520が配備されたと聞くが、その姿を見た事はない、とブリッツが言っていた。
英軍も複葉機のグロスター・グラジュエーターや布張りのホーカーハリケーンなどの旧式機ばかり。
制空権の確保など、非常にたやすいものだった。
そんな事ばかりやってるうちに仏第一、第九、第七軍、ベルギー軍は壊滅、最初の拠点のモンコルネを占領。
ここでグデーリアンと合流する。
グデーリアンはさすがに機甲師団創設の第一人者だけあって、その内容は4号D・E型、sIG33など充実していた。
さて、残存英軍部隊はライヘナウが相手をしているが、将軍の乗るマチルダ戦車が異常に硬い。
3突の75mm砲もあまり効果が無いのである。
なんとか集中射撃の末、俺の部隊から別働した4号で止めを刺した。
ちょうどクルーゲがカレー、ダンケルクを占領した頃、英軍は全面降伏。
残存部隊はダンケルクから本土へと逃げ延びた。
さらに続く我が軍の快進撃。
いよいよパリを陥す時が来た。
クルーゲにはそのまま海岸線沿いに進撃させ、ル・アーブルを占領させる。
俺達はパリの守備隊を確実に一部隊ずつ撃破し、包囲網を形成する。
野砲と戦車の集中運用で周辺の予備役兵、歩兵、戦車を撃破し、総司令部のシャールB1bisを空爆のもと集中攻撃、破壊する。
その後俺の部隊は南の仏第四軍の掃討を担当し、北の第十軍はクルーゲとライヘナウの部隊で壊滅させた。
真夜中のパリに、グデーリアンが入城。
遂にフランス首都、パリは陥落した。
普仏戦争以来の勝利である。

15ターン Lv1 戦略的勝利。

この戦いで俺も一級鉄十字章を受賞した。

ベニト・ムッソリーニ独裁のよき友「イタリア」が英・仏に宣戦布告。
ムッソリーニはファシズムでは我が総統閣下の先輩的存在だが、どこまで頑張れるのか?

ベルギー国王が軍の降伏を承認し、ベルギーも我がドイツの軍門に下った。
総統閣下から連絡が入った。
「フランスを落とした後は英本土上陸も視野に入れておけ」
さっそく我々は英本土上陸作戦に取り掛かろうとしたその矢先・・・
「仏残存軍がブレスト方面へ逃走、仏艦隊は北アフリカで英軍に投降しようとしている。仏艦隊が英軍の手に渡らぬうちに残存軍を掃討せよ」という連絡が入った。
貧弱な海軍を増強するためには、フランスの艦隊を分捕るしかないのだな。
よしわかった、さっそくブレストへ急ぐとしよう。


「ブレスト掃討戦」

仏艦隊が北アフリカに逃走するのを阻止するため、俺達はブレストへと急いだ。
  • 陸軍将軍:PSW232(将)、Pzkw4D*3、sIG33/1*2、105mm野砲*1、歩兵*1
  • 空軍将軍:Bf109E(将)、Bf109E*2、Me110C*2、Ju87R*1、He111*1
まず、俺達は南側から進撃する事にした。
俺達の取る侵攻ルートは、ル・マン経由でレンヌ、サン・ナゼールなどの拠点を制圧するというもの。
北側はクルーゲに任せる。
今回の作戦は、敵を追撃するという性格上、グズグズしてはいられない。
残存仏軍の内容だが、もはや戦車など少数で、歩兵や砲台ばかり。
あとはトーチカとクリークで固めた穴熊状態のフランス軍。
既にベルギー軍は降伏し、英軍も撤退してしまった。
戦力的にはこちらの楽勝と思えるかもしれないが、自軍の部隊が少ない事、フランス軍の予備役兵がやたら多い事で、三日以内に勝利を収めるのはそう簡単にはいかない。

まずは俺達の部隊は第七軍、クルーゲは第十軍を蹴散らす。
一日目の深夜には、紫の拠点と黄色の拠点を完全制圧しておきたい。
だが、予備役兵は意外なほどカタく、戦車でも予想外の損害を被る事がある。
二日目は、航空支援の元レンヌを総攻撃。
ここでも例のシャールB1bisが出てきたが、今回は都市の上ではないので楽に片付いた。
その間に別働隊の歩兵でサン・ナゼール付近の拠点を制圧。
三日目には、ブレストに向かえるようにしたい。
俺達はサン・ナゼールのトーチカと予備役兵を駆逐し、制圧。
クルーゲはその間にブレストに肉薄し、戦車と野砲でトーチカと予備役兵を攻撃。
ギリギリの三日目の深夜にブレストを制圧できた。

ターン15、戦略的勝利。

この戦いで、ブリッツはフランス空軍最新鋭機「デヴォアティーヌD.520」を授与した。
「性能的にはBf109と大差はないが、タンクが装備できるのはうらやましいな」と彼は言っていた。

6月も暮れようとしている時、総統閣下はフランスとの停戦交渉をコンピエーニュの森で行うと発表した。
あそこは1918年に第一次世界大戦に敗れた我がドイツが交渉降伏した場所でもある。
総統閣下は言っていた。
「今度はフランスが屈辱を味わう番だ!! 22年前に停戦交渉で使用した客車をパリの博物館からコンピエーニュの森に運ばせろ!! 22年前と全く同じ場所、同じ車両の中で今度はフランス軍に降伏させるのだ!!」

フランス側の代表は、官僚がロンドンに亡命したために首相となったペタン元帥である。
ペタンはコンピエーニュの森の客車の中で、我が総統閣下に約束した。
「我が政府はどんな事でもドイツに協力します」
我がドイツに屈服したペタンの政府は、ヴィシーに設置されたため、「ヴィシー政権」と呼ばれる事になった。
こうしてフランスは、事実上我がドイツの支配下に置かれる事になったのである。

しかし、ロンドンに亡命したフランス軍のシャルル・ド・ゴール将軍は、BBCからラジオで占領下のフランス国民に「あくまでもドイツと戦いを続けよう!自由フランス万歳!」と宣言たのである。
そのため、パリをはじめとするフランスの各都市で、我がドイツ占領軍に対する暴動が相次いだのであった。

フランスを屈服させた我がドイツの次の目標は、当然イギリスであった。
俺のトミーとの戦いも本格的になってきた。
しかし、イギリスに上陸するにはまずドーバーを抑えておかないととても無理である。
そこで、空軍元帥ヘルマン・ゲーリングはロンドンを初めとするイギリスの主要都市を空襲で破壊する作戦を立てたのであった。


「バトル・オブ・ブリテン」

停戦交渉に応じないイギリスに対し、総統閣下はゲーリング空軍元帥のブリテン島空爆作戦に承認を与えたのである。
今回、俺はFlak36で拠点防衛の任務に就く事になった。
満足に闘えないのが残念であるが、空軍、特に相棒のブリッツの大戦果を期待する事にしよう。
作戦目標は、首都ロンドンをはじめ、港湾都市のプリマス、工業都市のブリストル、バーミンガムである。
情報によると、ロンドンには3回、ブリストルには2回の空爆が必要だという。
空軍戦力はブリッツの他、ケッセルリンク、リヒトフォーヘン、そして若き英雄メルダースと、大戦果が期待できる編成である。
まずはフランス上空で待機、敵の戦闘機を誘い込み、一毛打尽にするのである。
Bf109は、いかんせん航続距離が短い。
なので、爆撃機を守りながらイギリス上空に進入するのが非常に困難なのだ。

さっそくホーカーハリケーンに、新型戦闘機のスーパーマリン・スピットファイアが次々と進入してきた。
誘い出した機体はすぐに着陸、俺の対空砲と別の機体で撃墜する。
この時はまんべんなく倒さずに、確実に一部隊ずつ撃墜し、飛行場へ逃げられないようにする。
一日目を過ぎても航空機が半分以上残っているようでは、状況は悪くなるだろう。
(Bf109戦闘隊は・・・(注:ここの人名、部隊名はフィクションデス))
「シュタイナー少尉!!」
「はい!こちらリヒテル・シュタイナー」
「一番乗りか、危ないやつめ!」
「すみません」
「いいか、まずあの弱っているスピットを食え!!他のお客さんは動きが取れんはずだ、全機完調、思い切って行け!!」
「了解!!」
ワイズマン中佐率いるブリッツ航空隊配下の中隊は、飛んできたロイヤル・エア・フォースの航空機を確実に潰す作戦を遂行する。
「性悪女(スピットファイア)か・・・」
リヒテル・シュタイナー少尉機は、孤立しているスピットを照準に捕らえる。
「よし、いただきだっ!!当たれよ!!」
メッサーの20ミリ機関砲が火を噴く。
鉛弾は性悪女の翼を貫き、爆破炎上させた。
「うまくいった」
「シュタイナー、二時方向に新たな敵機だ!!」
「了解!!」
「今度はハリケーンを肴にな!!」

二日目になると、ブリテン島上空のRAFの機体が少なくなっていた。
この機会を逃さず、空軍は総攻撃に出た。
Me110とJu87で高射砲を攻撃し、爆撃機の道を開く。
Bf109は残存航空機を掃討、裸になったロンドンに焼夷弾の雨が降る。
この頃は夜になっているはずなので、正確な照準は期待できない。
結果的に無差別爆撃となりロンドン市内は地獄絵図となった。
その後プリマス、ブリストル、バーミンガムも空襲の洗礼を受けた。
結果13ターン、戦略的勝利。

(ロンドン市内では・・・)
「な、何てことだ・・・。ロンドンが瓦礫の山に・・・」
「ちくしょう、ヒトラーの鬼め!!父さんと母さんを返せ!!」
この事態を目の辺りにしたイギリス首相ウィンストン・チャーチルは・・・。
「・・・ナチの奴等、今度はおそらくイギリス本土に上陸するだろう・・・。陸軍省に防衛態勢を強化するように伝えよ。そして、ドーバーとポーツマスにネルソン、フッド、R・ソベリン、プリンス・オブ・ウェールズ、レパルスを配置せよ」
元海軍大臣だけあって、海峡の防衛にも抜かりはない。

イギリス空襲に成功した我がドイツ軍は、いよいよブリテン島に上陸する「ゼーレーヴェ(あしか)作戦」を発動する事となった。
この作戦には、レーダー艦隊(ビスマルク、シャルンホルストなど)とデーニッツ潜水艦隊が参加する。
だが、上陸した所で、あのトミー達がそう簡単に屈服するのであろうか・・・。


「あしか作戦」

「出港ー!!」
イギリス上陸作戦の第二段階として、ドーバー、ポーツマスの制海権を得るため、カレーからレーダー提督率いる艦隊が出港する。
同時にデーニッツのUボート艦隊も、ル・アーブルから動き出した。
しかし、基本的に我がドイツは陸軍国だ。
これに対してイギリスは島国、そして植民地を多く持っているゆえに、艦隊は充実している事は確かである。
情報によれば、ネルソンやフッド、最新型のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスまでもが配備されているという。
こちらはビスマルク、シャルンホルストが参加しているがまさに「多勢に無勢」といった所だ。
こうなったらデーニッツのUボートに賭けるしかないな。

レーダー艦隊はドーバー、デーニッツ艦隊はポーツマスへ北上する。
上空に敵機が飛んできたが、さすがに先日の空襲で工場や基地を破壊し尽くしただけあって、この前ほどの数はない。
自軍の航空機で軽く片づける。
しかし、ケッセルリン配下のD.520は何故イタリア軍の塗装なのであろうか。
イタリアもこの作戦に参加しているという事か。
ドーバー付近の英本国艦隊に、レーダー艦隊が衝突した。
敵は旧式戦艦と重巡、軽巡、あとは駆逐艦二隻。
ビスマルクの38cm砲は、先手を取れば必ず勝利を導いてくれるだろう。
戦艦の艦砲射撃が命中した後は駆逐艦で止めを刺す。
こうすれば被害を恐れる事はない。
レーダー艦隊は、ドーバーを制圧した。
ちょうどその頃敵の航空機があらかた叩き落とされたので、爆撃機が飛んで、ブライトンを焼き払った。
残るはポーツマスだが、ここはデーニッツのUボート3隻のみで戦う事になる。
最初の駆逐艦だが、今回は何とか無傷で仕留める事が出来た。
運良く駆逐艦を沈めたら、もうこっちのものだ。
反撃できない戦艦にUボートの放つ魚雷が容赦無く襲いかかる。
プリンス・オブ・ウェールズが轟沈した。
そして、ポーツマスに隙間が出来た時点でデーニッツの輸送船が入城。
こうして、上陸部隊を無事ブリテン島に運ぶ事が出来た。

14ターン、Lv2戦術的勝利。

次はイギリス本土で激戦が繰り広げられるだろう。
だが、今の3号や4号では明らかに火力不足だ。
勝利は難しいだろう。


「イギリス本土決戦」

ドーバーの制海権を握った我がドイツは、あとはイギリス本土の制圧だけが目的となった。
ドーバー、ブライトン、ポーツマスを橋頭堡とし、首都ロンドンを初めとする七つの拠点の制圧が今回の作戦の任務である。
  • 陸軍将軍:PzkwIVD(将)、PzkwIVD、PzkwIVD、PzkwIVD、PzkwIVD、sIG33/1、sIG33/1、150mm野砲
  • 空軍将軍:D.520(将)、Bf109E、Bf109E、Me110D、Me110D、Ju87R、Ju88A N
トミーの本土に上陸した俺達。
ソンムでやられた右目の傷がウズウズしている。
あの時はトミーどもが持って来た「戦車」という新兵器に戦友は恐怖し、俺も敗走を余儀なくされた…。
あの時の借りを利子を付けて返してやらなくちゃいけないな。

俺達の部隊のすぐ前に、英軍の戦車部隊が待ち受けている。
エルヴィン・ロンメルがFlak36の水平射撃で破壊したという歩兵戦車のマチルダに加え、軽戦車Mk.IV、巡航戦車A9、A10、A13、それに新型のカヴェナンター(コベナンターとも呼ばれる)までもが配備されている。
このラインナップだとIV号でも互角、いや不利な状況に追いつめられてしまう。
こうなると、航空戦力が「これが勝利の鍵だ」である。
たのむぜ相棒。

まずはイギリス軍が怒涛のごとく押し寄せてくるため、進撃はある程度迎撃してからになる。
敵の地上部隊を撃破するには、航空戦力で陸戦力の不利を補いつつ戦いたいが、敵の航空機部隊も馬鹿には出来ない。
とくにスピットファイアは強力で、爆撃機は甚大な被害を受ける事になる。
という事で、Bf109で守りつつ地上部隊を爆撃する、というのがここでの鉄則となる。
航空支援を受けているとはいえ、A13やカヴェナンターは異様に硬くて撃破しにくい。
ロンドン郊外では、ブッシュとケッセルリンクの部隊がテームズ川を挟んで交戦中。
テームズ川の橋は二つが壊され、我が軍の行く手を阻む。
しかも俺達の方も幾多のトーチカで道を塞がれている。
昼にはクルーゲが増援で登場。
ロンドンで苦戦中のブッシュを支援する。
航空機の戦いは、敵は3インチ高射砲を持っているうえ、数もこちらが絶対的に少ないので常に苦戦を強いられる。
それでもブリッツ配下のワイズマン戦闘機隊は善戦し、スピット、ハリケーンを撃ち落としていく。
俺達の進軍する所に、スピットの残骸がよく落ちていた。
俺の戦車部隊もかなり被害が出ているが、何とか一日目の深夜にはグローブスターを占領。
二日目の昼には、ロンドンを完全包囲、占領した。
その後、バーミンガム、リバプールを目指して我が軍は進軍を続ける。
この頃になると、制空権は完全に我がドイツのものとなった。
途中にトーチカや砲台がまだ残っていたが、所詮は単独。
集中攻撃で叩き潰してやった。
いよいよトミーの最後の拠点、リバプールに差し掛かろうとしたその矢先…。
俺のもとに、一通の通信が入った。
「全軍撤退だと、どういうことだ!!」
「それが…、とにかく全軍イギリス本土より撤退せよという総統閣下からの司令です。詳しい事は自分にも分かりません」

Lv4.戦術的敗北。
総統閣下の命令なら仕方が無い。
この戦いで俺とブリッツは撃破章を授章。

ベルリンでは―
ヒトラー総統閣下は
「うう…、現在の戦力ではイギリスを攻略するには犠牲が大きすぎる…。やむを得ん、一時撤退して戦力を整えないとな…。そのためには、ソビエトのウラル以西の資源を確保しておかねば」と言っていたという。
つまり、次の相手はボリシェビキというわけだ。
と言う事は、独ソ不可侵条約は破棄される…、ことになる。
しかし、あの広大なロシアの大地での戦いで我々は勝てるのだろうか。

俺は本国に戻ると、つかの間の休息が与えられた。


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