南洋新報
遂行者:drunker
作戦名:提督の決断3(SS)
   シナリオ3ミッドウェイ海戦



昭和十七年九月三十日
ハワイ艦隊、米主力艦隊を撃退
【ハワイ發二十九日】再編なったハワイ艦隊(第三航空艦隊および第五驅逐艦隊)は、十九時、當基地に接近中の米第一艦隊を發見。ただちに瑞鶴、隼鷹、沖鷹、春日丸の各航空隊とハワイ航空隊が要撃に向かい、正規空母ワスプ、輕空母インディペンデンス、および驅逐艦四を撃沈。痛撃を加え、撃退した。我が方の損害、きわめて輕微なり。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發二十九日・祕匿電・軍令部以外ノ閲覽ヲ禁ズ]
二十九日ノ要撃航空戰ニオケル我ガ航空隊ノ損害實ニ九十六機トキワメテ甚大ナリ。F4F甚ダ強シ。マタ敵艦船ノ防空要撃能力モ大ナリ。コレハ第三航空艦隊各航空隊ガ比較的小規模ナタメト推定サレル。マタ米側ガ早クモ正規空母ヲ就役サセテイル事實ガ判明。脅威ナリ。ヨッテヨリ戰力集中ノ進ム第二航空基幹艦隊ヲ歸港サセ、第三航空艦隊ト任ヲ交替サセンコトヲ提案スルモノナリ。『ウ號作戰』(豪州制壓作戰)ノ遲延ハヤムナシ。今次ノ戰局分析ノ失態、スベテ我ニ在リ。本部ヨリノ處斷ヲ待ツ。


昭和十七年十月十九日
獨逸第三帝國より技官來日
【東京發十八日】八月に續き、またも親善技官が來日した。今囘は、兵器技術が供與された。


[情報部酒粕大尉(在赤城)發十九日・祕匿電・軍令部以外ノ閲覽ヲ禁ズ]
第二航空基幹艦隊、第三航空艦隊ノ配備ガソレゾレ完了セリ。第二航空基幹艦隊ハ補給後、直チニはわい沖ノ哨戒任務ニ向エリ。マタ第三航空艦隊ハぶーげんびる寄港後、第四巡洋艦隊ト合流シ、『ウ號作戰』實施ノタメぽーともれすびーニ出發セリ。


昭和十七年十月二十七日
米第二機動部隊を撃退!
第三次ハワイ沖海戰

【赤城(在ハワイ沖)發二十六日】現地時間二十六日四時より十一時までの間に、帝國第二航空基幹艦隊および第五驅逐艦隊は、ハワイに來襲せし米國第二機動部隊を捕捉、これを殲滅した。敵艦隊はエセックス型正規空母三を要する大艦隊であったが、まず第二航空基幹艦隊の飛龍・蒼龍航空隊が敵直掩を排除、續き赤城・加賀航空隊の爆撃・雷撃により、空母イントレピッド、空母ハンコック、輕巡一、驅逐艦五、輸送船三、直掩七十二を失う。同機動部隊は、同日八時、なおハワイ攻撃を續行するも、我が方の損害は砲臺二十八門にとどまる。これを追撃中の我が第五驅逐艦隊は、同十一時、ついに捕捉。勇猛なる砲雷撃戰を敢行し、空母エセックス、戰艦ニューヨーク、重巡サンフランシスコ、その他輕巡一、驅逐艦六、輸送船一を撃沈の大戰果を上げた。なお、この海戰は、海軍軍令部により第三次ハワイ沖海戰と命名された。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發二十八日・祕匿電・軍令部以外ノ閲覽ヲ禁ズ]
第二航空基幹艦隊、第五驅逐艦隊、トモニ現在はわい港ニテ修理中ナリ。艦艇ノ損害比較的輕微ナルモ、航空機ノ損害マスマス甚大ニナリツツアリ。當地時間四時ニ行イシ空撃デハ實ニ八十八機ガ撃墜サレリ。マタ同八時ノはわい防空戰デハ敵損害五機ニ對シ、我ガ方ノ損害二十六機。熟練操縱士ヲモッテシテモ零戰二一型デハモハヤ敵重戰鬪機ニ對抗不能。新型機ノ開發急務ナリ。


昭和十七年十月二十八日
水上電探、ハワイ艦隊へ
【東京發二十八日】海軍横須賀工廠は二十八日、敵艦艇早期發見に效果大の水上電探の開發に成功していたことを發表した。同新兵器はすでに各地の主要港灣に配備され、第三次ハワイ沖海戰後にハワイ港にて休養中の第二航空基幹および第五驅逐艦隊にもさっそく設置された。索敵能力のますますの向上が期待される。


昭和十七年十月三十一日
陸軍、成都及び重慶攻撃開始
【大本營陸軍部發表(午前十一時四十分)】わが軍は本三十日未明、成都及び重慶の攻撃を開始せり。わが軍は三十日午前六時、成都及び重慶に對しそれぞれ第一次爆撃を敢行し多大なる戰果を擧げり。續き第二次爆撃敢行中。


昭和十七年十一月四日
遂に豪州大陸へ進駐!
タウンズビル基地占領!

【ラバウル發三日】帝國海軍第三航空艦隊および第四巡洋艦隊は、三日午後七時、豪タウンズビル基地を陷落させた。海軍軍令部によれば、これは『う號作戰』と命名された豪州制壓作戰の緒戰であり、同作戰は先月三十一日に發令されていた。我が第三艦隊および第四艦隊は今月二日朝より數次に渡り海空より猛攻撃を敢行。同基地の疲弊を誘い、ついに陷落させたもの。豪州制壓も愈愈時間の問題と識者は語っている。


昭和十七年十一月五日
印度にて獨立運動益々盛んに。手を燒く英國
【コロンボ外電四日發】印度在住の消息筋によれば、同地ではガンジー氏による獨立運動がこれまでで最大の盛り上がりを見せ、さすがに英國政府も動搖を隱し切れない模樣。歐米列強による植民地支配への不滿が一氣に噴出した形となっており、これら民衆を支援し印度解放を一日でも早く實現するため、帝國海軍の早急なる印度洋方面への展開が望まれる。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發六日・私信・準祕匿電扱・情報部檢閲濟]
懷かしい手紙をありがとう。武漢はずいぶんと寒いようだが、ハワイは一年中八月のような氣候だ。しかし羨むことなかれ。陸の上ならば大地が搖れることはないだろう。長い船倉暮しでだいぶは慣れたつもりだったが、さすがに一昨日からの嵐は堪えた。どうせ醉うなら旨い酒で醉いたいものだよ。それでも赤城は大きな船だからまだましな方で、驅逐艦などはだいぶ損傷を受けた。尤もそのお陰でこうした陸に上がることができのだが。この天候では敵さんも攻めてこれはしないから、ひとときのんびりさせてもらうさ。ところでいよいよ中國大陸解放作戰を本格的に實施するとのこと。あちこちの基地から航空機をかき集めていたのは、こちらでも噂になっていたよ。必勝と武運を祈っている。お互い陸軍海軍と道は分かれたが、最後に酒を酌み交わした時の約束、よもや破るなよ。必ず勝て。必ず生きて還れ。再び吾と酒を呑まんために。


昭和十七年十一月九日
陸軍、成都占領
【大本營陸軍部發表(午後三時)】わが軍は本八日十一時、成都を占領せり。わが軍は西安基地より成都に對し數次に渡る爆撃を敢行し多大なる戰果を擧げり。續き陸戰部隊が成都に突入、獅子奮迅たる活躍のうち、ついにこれを陷落せり。


昭和十七年十一月九日
タウンズビル侵入の米軍掃討中
【大本營海軍部發表(午前六時)】わが軍は本八日午後三時、タウンズビルに侵入せし米軍に對し掃討作戰を決行せり。
【ラバウル發八日】信頼できる情報筋によれば、八日十五時、先に占領したばかりの豪タウンズビルに米地上軍が來襲した。敵戰力は四十と見られている。第三・第四艦隊は同基地への守備兵員輸送のためポートモレスビーに寄港中。海軍軍令部では至急兩艦隊をタウンズビルに戻し、海上からの掩護に充てる豫定。


昭和十七年十一月十一日
タウンズビル侵入の米軍撃退
【大本營海軍部發表(午前七時)】わが軍は本十日午前十時、タウンズビルに侵入せし米軍を一掃せり。
【ラバウル發十日】ポートモレスビーより派遣された第三・第四艦隊が米タウンズビル侵入部隊を撃滅、同基地の防衞に成功した。米侵入部隊はブリスベンに駐屯していたものと見られている。その後の海軍情報部の調査によれば、現在ブリスベン基地の守備戰力はわずか二一であり、この觀測を裏付ける形となった。


昭和十七年十一月十五日
陸軍、重慶占領
【大本營陸軍部發表(午前六時)】わが軍は本十四日未明、重慶を占領せり。


昭和十七年十一月十五日
豪州ブリスベン占領
【大本營海軍部發表(午後八時)】わが軍は本十四日午後七時、ブリスベンを占領せり。
【ラバウル發十四日】十四日八時より、わが第三航空艦隊及び第四巡洋艦隊は豪州ブリスベン基地を空陸海より斷續的に猛攻。遂に午後七時、同基地を制壓した。なお、本戰鬪に際し、第三航空艦隊航空隊は豪第一艦隊を捕捉し、これを猛爆。重巡オーストラリア、輸送船四隻撃沈の大戰果を擧げた。


昭和十七年十一月十六日
豪第一艦隊全滅
【ラバウル發十五日】本十五日二十一時、わが第四巡洋艦隊は豪第一艦隊と交戰、重巡キャンベラ、輸送船二隻を撃沈。同艦隊は消滅した。前日まで同艦隊を構成していた輕巡および驅逐艦の消息は不明。軍令部では、南太平洋方面に潛伏中との見方を強めている。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發二十日・私信・準祕匿電扱・情報部檢閲濟]
成都、重慶の攻略成功を祝す。陸軍基地への海軍航空隊の配屬の件、こちからからも上層部に進言した。太平洋はほぼわが軍が制空制海權を握り、豪州方面制壓も順調に進捗中。航空隊の連中も遊んでるだけでは腕がうずいてしょうがないだろう。ただし、一式陸攻はうちの航空隊の連中からもすこぶる評判が惡い。そちらの戰鬪機でしっかり護衞してやってくれ。それでは、武運を祈りつつ。


昭和十七年十一月二十三日
陸軍、昆明占領
【大本營陸軍部發表(午後六時)】わが軍は本二十二日午後、昆明を占領せり。先に占領した重慶、および成都、ハノイよりの空陸からの猛攻によるものなり。續き同地に戰力を集結し、さらに戰線を擴大中。


昭和十七年十一月二十四日
陸軍、インパール占領
【大本營陸軍部發表(午後七時)】わが軍は本二十三日午後、インパールを占領せり。


昭和十七年十一月三十日
海軍、ポートダーウィン占領!
豪州方面完全制壓!

【大本營海軍部發表(午後十時)】わが軍は本二十八日午後八時、ポートダーウィンを占領せり。豪州方面制壓作戰はこれにて集結を宣言するものなり。
【ラバウル發二十八日】帝國海軍第三航空艦隊および第四巡洋艦隊は二十八日二十時、ポートダーウィン基地を占領、豪州方面の完全制壓に成功した。『う號作戰』と呼ばれていた豪州方面制壓作戰は先月三十一日より開始され、今月三日のタウンズビル占領、同十四日のブリスベン占領と順調に進捗していたが、今囘のポートダーウィン占領で無事完了した。これにより、豪州大陸の無盡藏の資源が帝國を潤すことになる。また、米國をいっそう孤立化させる意味でも、本作戰成功の意義は大きい。なお、山本五十六元帥は、「米國との戰いは漸く半ばを迎えたまで。これに奢ることなく、各員のいっそうの奮鬪を期待する」との訓辭を述べられた。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發二十八日・祕匿電・軍令部以外ノ閲覽ヲ禁ズ]
先ノぽーとだーうぃん上陸作戰ニ於イテ上陸部隊三十二ガ全滅セシコト、明ラカニ指揮系統ノ混亂ニヨルモノナリ。空襲オヨビ艦砲射撃ニテ敵守備兵力ヲ完膚ナキマデニ叩イタ後、強襲部隊ヲ上陸サセルハ、揚陸戰ノ初歩ナリ。各艦隊ノ指揮系統ヲ再度見直スベシ。
マタ第三・第四艦隊ハ南太平洋方面ノ殘敵掃討『フ號作戰』後はわいニ寄港サセタイガ如何。印度方面攻略『ソ號作戰』ハ最優先作戰ナリシモ當面陸軍デ對シ、新鋭高速艦隊編成後、演習ヲ豫ネテ合流サセタシ。


昭和十七年十二月四日
カルカッタ猛爆
【大本營陸軍部發表(午前十一時)】わが軍は本三日九時、英カルカッタ基地への空爆を開始せり。マンダレー及び昆明航空隊の荒鷲、果敢に敵地上空に突入し、敵基地に甚大なる損害を與えり。續き猛爆を續行中。


昭和十七年十二月十一日
カルカッタ壞滅! 印度解放、大きく前進
【大本營陸軍部發表(午後六時)】わが軍は本十日午後三時、英カルカッタ基地を完全に破壞せり。
【シンガポール發十日】マンダレー及び昆明航空隊は、十五時、英カルカッタ基地の無力化に成功した。これは三日より同基地の砲臺および守備兵力を主目標に連日實施されていた空爆作戰によるもの。八日間、陸海軍合わせ作戰參加機數のべ千二百機を超える猛爆は、英軍將兵らの間では「カルカッタ定期便」と呼ばれ、恐怖されていたと言う。續き同基地にはインパールの歩兵部隊が占領に向かう豫定。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發十三日・私信・準祕匿電扱・情報部檢閲濟]
こちらは先月末からずっと嵐で、陸留めされている。しかしインパールからカルカッタまでの陸路がそれほど險峻だとは知らなかった。なるほど地圖だけでは實際の地勢はわからぬものだな。陸軍から揚陸艦隊派遣の要請があったことは、さきほど南雲中將から聞いた。幸い最新鋭の秋月型高速驅逐艦が九州沖を哨戒中だったため、これを急ぎ向かわせたようだ。たかが五隻の艦隊だが、無人基地への揚陸なら問題ないはずだ。途中ラングーン港で上陸部隊輸送艦隊として編成し直し、兵員も三十二補充する。機を失せずに間に合わんことを願う。


昭和十七年十二月十五日
『武藏』、堂々の竣工
【呉發十四日】海軍呉港にて超弩級戰艦『武藏』の竣工式が執り行われた。『武藏』は大和型二番艦として七月にはほぼ建造が終了していたが、あらためて防空改裝を施していたもの。主砲は四十六サンチ三連裝砲三基、副砲は十五.五サンチ三連裝砲二基。この他、高角砲二十四、機銃百五十を備え、その防空性能は『大和』を遥かに凌駕している。當面は日本海を哨戒中の第十豫備艦隊に合流し、乘組員の洋上訓練が行われる豫定。


昭和十七年十二月十七日
カルカッタ占領
【大本營陸軍部發表(午前六時)】わが軍は本十六日午前一時、英カルカッタ基地を制壓せり。インパール基地よりの歩兵部隊が無血占領に成功したものなり。續き午前四時、英デリー基地より米侵攻部隊が來襲。目下これを撃退するべく交戰中。


昭和十七年十二月十九日
カルカッタ交戰中
【大本營陸軍部發表(午前七時)】わが軍は目下カルカッタにて米侵攻部隊と交戰中なり。米軍、カルカッタ奪還を圖り連日侵攻するも、わが守備隊の勇猛なる反撃により徒に戰力を消耗せり。またラングーン及びマンダレー航空隊も米侵攻軍を猛爆中。


昭和十七年十二月十九日
第一次歸還令公布
政府は十九日、戰局の安定に伴い、各基地守備兵力の削減を決定。『第一次歸還令』を公布した。これは各基地の戰略的重要度を格付けし、第一級(最前線指定)及び第二級(重要補給據點指定)基地の兵力を増強するとともに、それ以外の基地の兵力を削減するもの。これにより四十餘基地に展開する約八百部隊が歸還することになる。


昭和十七年十二月二十日
カルカッタに守備隊増援
【シンガポール發十九日】激戰中のカルカッタに、十九日正午、第一次増援部隊三十二が上陸した。現地からの情報によれば、これは海軍第六高速輸送艦隊によるもの。同艦隊は上陸任務遂行後直ちに同地を出港し、第二次増援部隊が待機中のラングーンに向かった。高速艦隊による往還輸送で守備兵力を早急に増強することが目的。


昭和十七年十二月二十二日
カルカッタの攻防、さらに激しさを増す
【大本營陸軍部發表(午前七時)】わが軍は本二一日午前七時、カルカッタにて大規模なる米侵攻部隊と應戰中なり。わが軍の精鋭果敢に戰い、目下これを撃退中なり。


昭和十七年十二月二十五日
カルカッタ攻防戰に決着か
【シンガポール發二十四日】連日熾烈なる市街戰が展開していたカルカッタだが、二十二日朝の戰鬪を最後に、同市内は靜穩を取り戻している。同地には海軍第六高速輸送艦隊による第二次増援部隊も屆いた。米侵攻部隊の出撃據點であった英デリー基地の守備兵力はもはや一部隊程度との情報も流れている。


昭和十七年十二月三十日
陸軍、デリー占領
【大本營陸軍部發表(午後三時)】わが軍は本二十九日午前七時、デリーを占領せり。デリー基地は先のカルカッタ侵攻戰にて主な守備兵力を喪失。機を失せずしてわが軍カルカッタ陸戰隊が同基地に侵攻。これを制壓したものなり。續きカルカッタ航空隊が英マドラス基地を猛爆中。


[駐ハワイ情報部酒粕大尉發三十日・祕匿電・軍令部以外ノ閲覽ヲ禁ズ]
南太平洋方面ニ殘ル米四基地ノ情報ヲ入手セリ。イズレノ基地ニモ三十前後ノ守備部隊ト五十カラ七十ノ航空機ガ存在セリ。タダシ内えすぴりっさんと及ビさんたくるーず基地ニオイテハ備蓄石油量ハ零ナリ。ナオ他二基地ニオイテモ五百餘リノミ。マタ物資モ日ニ日ニ枯渇ノ一途ヲ辿レリ。ワガ軍ノ補給遮斷戰略、完全ニ成功セリ。モハヤコレラ基地ニ戰鬪能力無シ。アエテ制壓スル必要ナキヨウニ思ワレルガ、實戰訓練ニハ格好ノ目標トモ言エリ。


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