AWW攻略法


宣戦布告
PLAN02 ワルシャワ攻略戦
戦況報告:PLAN02 ワルシャワ攻略戦/10ターンで終了/レベル1
ここも敵を叩きつつ前進するだけですね。クトノは6ターン目に登場するクルーゲ隊に任せておけばOK。自陸軍とライヘナウは目前のポーランド軍を撃滅しつつ、ワルシャワに向かうだけです。
  • 陸軍編成=35t式(将軍)、3号F型×3、105mm野砲、歩兵
  • 空軍編成=Bf109E(将軍)、Bf109E、Me110C×2、Ju87B、He111
  • ご褒美=Avia534、二級鉄十字勲章(陸空とも)

12/27 20:12 ( No.2285 )  Helion
Plan 02 ワルシャワ攻略戦 WARSZAWA 1939.9.15
  • 陸軍編成:PSW222,PzKw3F,PzKw3F,PzKw1B,105mm野砲,歩兵
  • 空軍編成:Bf109E,Bf109E,Me110C,Me110C,Ju87B,He111
39/09/03
私たちのポーランド攻撃に対してイギリスとフランスが宣戦布告。今はフランス側ががら空き同然なのでちょっと心配。

39/09/15
緒戦は完全な成功。この調子でワルシャワの攻略に向かう。
私の部隊にもやっと3号戦車がやってきた・・・って、自費購入だけど。今までの機関砲と違って、今度の主砲は50mm砲だから・・・あれ? 37mmだ。3号には50mmを載せるってグデーリアン将軍は言ってたはずなのに。
今日も楽勝!と思ってたら、意外と敵の抵抗がある。軍司令部に攻撃をかけているんだけど、ワルシャワから援軍が来るので思うように進めない。そのぶん、ここを突破すると楽なんだろうけど。ライヘナウ将軍は深夜にウッジ占領。直前に敵に援軍が到着したので大変そう。私のほうは今日のところは占領できず。

39/09/16
北方軍集団からクルーゲ将軍が到着。昨日の敵援軍とクトノの占領はまかせて、ライヘナウ将軍はワルシャワへ。私も何とか午前中に司令部を攻略して、そのままワルシャワに突進。結局残った敵を叩いていったのでワルシャワ攻略は夜になった。今回も大成功。
  • 結 果 :9ターン(Lv1) VP 300+460+1153+2000=3913
  • 陸軍将軍:Lv 6→Lv12 (撃破数24) +「泥中行軍」
  • 空軍将軍:Lv 4→Lv 7 (撃破数 8)
39/09/17
赤軍部隊が東の国境を越えてポーランドに入ったらしい。さすがにここでソ連と戦うのは危ないと大騒ぎしていたら、実はポーランド分割の秘密協定があったらしい。なにも私たちにまで秘密にしなくてもいいのに。フランスのほうは、結局時々ビラまきに来たくらいとか。なに考えてるんだか。
今回の功績で私とヘレナは鉄十字勲章(2級)をもらった。やっとこれで私たちにも箔がつくというもの。あと、ヘレナには Avia534のプレゼントもあったんだけど・・・今さら複葉機もらってもねぇ。ヘレナと相談して即刻下取り。

02/03 19:01 ( No.131 ) 平松拓重流
「ワルシャワ攻略戦」
初陣を大勝で飾った我々は、敵首都ワルシャワへ肉薄した。
この時、自軍は戦力増強のためIII号戦車F型とスコダ35t戦車を導入。
もはやポーランドのタンケッテやルノーなど敵ではないだろう。

俺の部隊の目の前には、敵のプルシー軍の司令部がある。
相棒のスツーカで脅しながら、目の前の敵を一つ、また一つと撃破していく。
軍司令部は、あっという間に占領されてしまった。

ライヘナウは地上軍だけでウッジを目指す。
ポズナニ軍の激しい抵抗に遭うが、いかんせん旧式の兵器。
近代化を推し進めた我がドイツにかなうはずが無い。

ちょうど我々が橋を渡って敵将軍を二人仕留めた所で、ライヘナウがウッジを占領。
深夜には敵の増援としてポメラニア軍が来るが、歩兵ばかりで貧弱な部隊だった。
翌日の朝にはクルーゲ率いる北方軍集団が増援として駆けつけてきた。
クルーゲ軍はライヘナウ軍と共にポメラニア軍を駆逐し、クトノを占領。
空戦は、ブリッツ率いるBf109の圧倒的な強さとポーランド機の貧弱さが相対して
まさに無敵だった。
二日目の夕方には我々はワルシャワを総攻撃。
必死の防戦に努めるワルシャワ守備隊に対し果敢にも突撃、
夜にはこれを制圧した。

首都ワルシャワが陥落し、ポーランドは我がドイツに敗れた。
10ターン、戦略的勝利である。
この戦いで、俺とブリッツは二級鉄十字勲章を授与。
ブリッツには、さらに戦闘機のAvia534も授与された。

ちょうどその頃、総統閣下と密約していたソ連書記長・スターリン率いる
赤軍がポーランド東に侵攻。
ポーランドは我がドイツとソ連により分割併合され、世界地図から消滅してしまった。
しかし、ソ連がカティンの森で残虐行為を行ったのは、
今の俺達は知る由も無かった。
その後、ソ連はフィンランドにも侵攻。
これがもとで国際連盟から除名された。
我がドイツが国際連盟を脱退してから7年後の事であった。

ポーランド陥落後、総統閣下はデンマーク、ノルウェーにも侵攻。
その頃、イギリスではチェンバレンに代わって
ウィンストン・チャーチルが首相となった。
我がドイツに徹底抗戦すると宣言。
俺はこのトミーの挑戦を受けてたつ覚悟は出来ている。

・・・今日、スコダ35t戦車のプラモ買いました(チェコ製)。
さて、私はこの次は「マンシュタイン計画」で行きます。
後の「パリ電撃戦」は、「パリ攻防戦」とは敵と自軍の初期配置が
違って、イギリス軍の戦力が分散されている事を考えると、
こっちの方が進みやすいと判断したからデス。
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